「元気が湧いてくるミュージカルを教えて」と聞かれて、私が100%おすすめするのが絶対に「ヘアスプレー」。2003年のトニー賞では13部門にノミネートされ、作品賞を含む8部門を受賞。ブロードウェイでは2,600回を超えるロングラン公演を誇る、最強に楽しいミュージカルです。
始終カラフルでハッピーなのに、その土台にあるのは1960年代アメリカの人種差別という重たいテーマ。この「軽やかさ」と「切実さ」を見事に両立させた名作の魅力と、おうちで観る方法まで、観劇好きの私がまるごと紹介します。
『ヘアスプレー』ってどんな作品?
『ヘアスプレー』は、1988年のジョン・ウォーターズ監督の映画を原作に、2002年にブロードウェイでミュージカル化された作品です。2003年のトニー賞(アメリカの舞台演劇でもっとも権威ある賞)では、作品賞を含む8部門を受賞しました。2007年にはジョン・トラボルタらの出演で映画版も公開され、日本でも2022年に東宝が舞台版を上演しています。1960年代のポップでカラフルな空気の中に人種差別という重いテーマをまっすぐ織り込み、「楽しいエンタメ」と「社会派ドラマ」を同時に成立させた、稀有なミュージカルです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作品名 | ミュージカル『ヘアスプレー』(Hairspray) |
| ジャンル | ミュージカル・コメディ |
| 物語の舞台 | 1960年代(1962年)アメリカ・ボルチモア |
| 作曲 | マーク・シャイマン |
| 作詞 | マーク・シャイマン、スコット・ウィットマン |
| 脚本 | マーク・オドネル、トーマス・ミーアン |
| 原作 | 映画『ヘアスプレー』(1988年・ジョン・ウォーターズ監督) |
| ブロードウェイ初演 | 2002年(ニール・サイモン劇場) |
| おもな受賞 | 2003年トニー賞 作品賞ほか8部門 |
| 上演時間の目安 | 約2時間30分(休憩込み) |
| 日本版 | 2022年上演(東宝/渡辺直美・山口祐一郎ほか) |
あらすじ(ネタバレなし)
物語の舞台は、1962年のアメリカ・ボルチモア。主人公のトレイシーは、ぽっちゃり体型の高校生です。彼女の夢は、地元テレビの人気ダンス番組「コーニー・コリンズ・ショー」に出演すること。ある日、番組の出演メンバーに空きが出て、新メンバーを選ぶオーディションが開かれることになります。
「あなたなんて、笑い物にされるだけ」。そう心配する母エドナの反対を押し切り、お茶目な父ウィルバーの後押しを受けて、トレイシーはオーディションに挑みます。ところが番組のプロデューサーは、彼女の体型を理由に、あっさり不合格に。落ち込むトレイシーでしたが、居残り授業で出会った黒人の同級生シーウィードから、とびきりのダンスを教わります。
そのダンスを武器に、トレイシーはついに番組メンバーの座を射止め、一夜にして街のスターに。けれど舞台に立った彼女は、ある事実に気づきます。この番組では、黒人の出演者は月に一度の「ニグロ・デー」にしか出られない。番組を、そして街を、トレイシーはどこまで変えられるのか。物語はここから、一気に転がり出します。
主な登場人物
| 登場人物 | どんな人物か |
|---|---|
| トレイシー・ターンブラッド | 主人公。ぽっちゃり体型の高校生。底抜けに前向きで、ダンス番組のスターを夢見る。 |
| エドナ・ターンブラッド | トレイシーの母。大柄で内気。自宅でクリーニングの仕事をしている。伝統的に男性が演じる名物役。 |
| ウィルバー・ターンブラッド | トレイシーの父。ジョークグッズ店を営む、お茶目で愛情深い人。 |
| リンク・ラーキン | 番組の人気ティーンアイドル。やがてトレイシーと惹かれ合うことに。 |
| ペニー・ピングルトン | トレイシーの親友。少し天然で一途。とても厳格な家庭で育った。 |
| シーウィード | 陽気で心優しい黒人ダンサー。トレイシーにダンスを教える。 |
| モーターマウス・メイベル | レコード店のオーナーで「ニグロ・デー」の司会者。強い意志を持つ女性。 |
| ベルマ・フォン・タッスル | 物語の悪役。番組のプロデューサーで、人種差別主義者。 |
| アンバー・フォン・タッスル | ベルマの娘。番組のわがままな「お姫様」的存在。 |
ここが最高。 私が『ヘアスプレー』をすすめたい理由
社会派だけど楽しすぎる。元気が湧いてくる
私が『ヘアスプレー』をいちばんすすめたい理由は、この一点に尽きます。観ているあいだ、ずっと楽しくてカラフルでハッピー。それなのに、土台には1960年代アメリカの人種隔離という重たいテーマがあります。
たとえば、トレイシーが憧れるダンス番組「コーニー・コリンズ・ショー」には、露骨に人種の線引きがあります。黒人の出演者が画面に出られるのは、月にたった一度の「ニグロ・デー」だけ。残りの日は白人だけの番組です。番組を仕切るプロデューサーのベルマは、その隔離を「当たり前のこと」として守り抜こうとします。黒人の少年シーウィードと白人の少女ペニーが惹かれ合えば、まわりの大人たちはそれを「とんでもないこと」として扱う。差別は決して舞台装置ではなく、登場人物一人ひとりが日常として、ときに痛みとして引き受けるものとして描かれています。
『ヘアスプレー』は、差別を正論や悲劇でねじ伏せようとはしません。武器になるのは、歌とダンス、そして「楽しいことを楽しいと言う」エネルギーそのもの。登場人物たちは、拒まれたり傷ついたりしながらも、その熱量で少しずつ周りを巻き込み、味方を増やしていきます。だからたどり着く幸福感は、棚ぼたではなく、ちゃんと「勝ち取ったもの」として胸に届く。
普通、差別を正面から扱った作品は、どこか説教くさくなったり、観終わって気持ちが沈んでしまったりしがちですが、本作はひと味違います。差別を真正面から描きながら、作品全体は明るくポップな熱量で、ぐいぐい突き進んでいく。「軽やかさ」と「切実さ」を、同じ熱量で同居させているバランス感覚が、本当に見事です。
もちろん、現実の歴史はこんなに軽やかには進みませんでした。本作のハッピーエンドは、それを承知のうえで、あえて「世界はこうあってほしい」を高らかに掲げてみせる…。その潔さこそが、観終わったあとに元気が湧いてくる理由なのだと思います。
主人公トレイシーの前向きさに、こちらまで巻き込まれる
主人公のトレイシーは、太っていることをからかわれても、周囲の偏見にぶつかっても、基本的にずっと前向きです。もちろん傷ついていないわけではありません。しかし彼女は、「あなたの偏見なんて知らない!」という勢いで、前へ前へと進んでいきます。その自己肯定感の高さとポジティブさが、観ている私たちのことまで巻き込んでいくんです。
トレイシーの魅力は「完璧な正しさ」ではないところ。ちょっと暴走気味だったり、勢いとテンションで突破しようとしたり、決して完璧な主人公ではありません。その不器用なエネルギーこそが、停滞した街の空気を変えていきます。だから観終わったあとまでパワーをもらえるのです。
悪役の美魔女・ベルマがいい味出してる
個人的にどうしても外せないのが、ヴィラン(悪役)のベルマです。彼女は番組のプロデューサーで、人種差別的な「古い価値観」そのものを背負った存在。完全に「ヤ〜なおばさん」です。なのに、嫌味たっぷりで高圧的なその佇まいが、あまりにも格好いい。悪役がしっかり魅力的だと、作品全体がぐっと締まります。「あなたみたいな子は認めない」というベルマの圧を、トレイシーが笑顔と勢いで突破していく。この構図こそ、『ヘアスプレー』という作品そのものを象徴しているように思います。
忘れてはいけないのは、この多幸感の土台にあるのが、実際にあった人種隔離の歴史だということです。楽しいラストにたどり着くまでに、登場人物たちはちゃんと痛みや困難を通り抜けます。
その重さがあるからこそ、エンディングへのカタルシスがひとしお。観終わる頃には、「なんだか世界を変えられる気がする。身体の底から勇気が湧いてくる。それが『ヘアスプレー』という作品なのです。
観てほしいナンバー3選(YouTube)
『ヘアスプレー』を語るうえで、絶対に外せないのが楽曲です。ここでは、私が特におすすめしたいナンバーをYouTubeの動画とあわせて紹介します(動画はいずれも2007年の映画版のものです)。
Good Morning Baltimore:冒頭から心をわしづかみ
オープニングを飾る名曲です。「この街が大好き!」というトレイシーの全力の歌から、物語は幕を開けます。主人公がどんな人物なのかを、ほぼ一曲で説明しきってしまう。オープニングナンバーとして、これ以上ないほど完璧です。
この曲のすごいところは、ただハッピーなだけではないこと。よく聴くと、トレイシーが「大好き!」と歌い上げているボルチモアは、実はけっこう殺伐とした街なんです。歌詞に出てくるのは、足もとで踊り回るネズミ、酔いつぶれた人、隣の露出狂のおじさん(笑) 普通なら、思わず顔をしかめたくなるものばかり。
トレイシーは、その全部に満面の笑みで「おはよう!」と声をかけていきます。このうらぶれた現実の風景と、まばゆい多幸感とのギャップ。そこに皮肉とユーモアが効いているんです。
汚いものも、冴えない日常も、ぜんぶキラキラに変換してしまう。その「楽観の暴力」のような力こそが、彼女がこのあと街を動かしていく原動力なのだと、冒頭のたった一曲で分からせてくれます。ちなみに2007年の映画版では、トレイシーがこの曲を歌いながら街じゅうを練り歩き、最後はゴミ収集車にひょいと飛び乗って学校へ向かいます。「街のゴミの上で、幸せそうに歌う」という画づくりそのものが、この曲の皮肉を映像にしたような名シーンです。
(The Legend of) Miss Baltimore Crabs :ヴィランの曲なのにカッコ良すぎ
悪役ベルマのソロナンバー。嫌味たっぷりで高圧的なのに、「女王の貫禄」を感じさせる一曲です。古い価値観の体現者としての迫力があるからこそ、物語が引き締まる。「悪役が魅力的だと、作品全体が強くなる」というのを一曲でまるごと実感できるナンバーです。
この曲も、ただ景気がいいだけの曲ではありません。歌われるのは、かつて美人コンテスト「ミス・ボルチモア」で優勝した、というベルマの自慢話。ところが歌詞を追うと、その栄光はライバルを蹴落とし、汚い手も使って勝ち取ったものだと、ベルマ自身がノリノリで白状しているんです。きらびやかなショーナンバーの体裁で「自分がいかに性根の腐った人間か」を堂々と歌い上げている。この倒錯がおもしろいですよね。
曲があまりに魅力的でベルマがチャーミングなので、観ているこちらは「最低な人だ」と思いながら、つい聴き入ってしまう。その「うっかり魅了されてしまう」感覚こそ、この曲の風刺の仕掛けです。美のものさしや「ふさわしい・ふさわしくない」を決めて他人を弾く。作品そのものが批判している価値観を、ベルマは輝かしく歌い上げてみせるわけです。ちなみにタイトルの「Crabs」は、カニ料理で有名なボルチモアらしいコンテスト名……かと思いきや、ベルマが審査員すら抱き込む「汚い手」で優勝したことを匂わせる、なかなか際どいダブルミーニングになっています。
You Can’t Stop the Beat:ラストを飾る、幸福感の洪水
フィナーレを飾る、もはや「エネルギーの洪水」としか言いようのないナンバーです。「時代の流れは止められない!」という勢いそのもので、物語のテーマを一気に押し切っていく、最高の幕切れ。観終わったあとのあの高揚感は、間違いなくこの曲があってこそです。
この曲が見事なのは、ただ楽しいだけでなく、楽しさそのものを主張にしているところ。登場人物が次々とバトンを渡すように歌い継ぎ、キーはぐんぐん上がり、ビートはどんどん加速していきます。その止まらない高揚感が、「体型がどうだろうと、肌の色がどうだろうと、時代の前進はもう誰にも止められない」というメッセージと、完全に一体になっている。理屈ではなく、幸福感の物量で観客を納得させてしまう。エンタメの力で社会を語るという『ヘアスプレー』のやり方が、いちばん極まった一曲です。
ちなみにこの曲、あまりに歌詞が速くて休む間もないため、出演者たちは「You Can’t Stop the Beat(ビートは止められない)」をもじって「You Can’t Stop to Breathe(息つく間もない)」と呼んでいたのだとか。観ているこちらが息を呑むほどのスピード感は、演じる側にとっても本物だったようです。
〔ネタバレあり〕観た人と語りたい、ラストの話
物語のクライマックスは、「ミス・ティーンエイジ・ヘアスプレー」コンテスト。トレイシーたちの願いが実を結び、番組はついに人種の壁を越えて、「これからはずっと」すべての出演者に開かれることが宣言されます。そして個人的にぐっとくるのが、あれだけ「笑い物にされる」と外に出ることをためらっていた母エドナが、最後にきらびやかな衣装でステージに立つ場面。トレイシーだけでなく、彼女のまわりの人たちまで、少しずつ前へ踏み出していく。だからこそ、全員で歌う「You Can’t Stop the Beat」のあの幸福感が、ただ楽しいだけでなく、ちゃんと胸に響くのだと思います。
海外の反応・ファンの声
熱くなっているのは、私だけではありません。海外のレビューやファンの声を見ても、『ヘアスプレー』は「何度でも観たくなる作品」として愛され続けています。いくつか紹介します。
始まった瞬間に、大きな笑みが顔に浮かびました。そして、エンドクレジットが終わるまで、そのニヤけが止まりませんでした
何度観たことがあっても、最後まで観ずにはいられない
メイベルが行進を率いて歌う「I Know Where I’ve Been」では、その場にいた観客全員の首の毛が逆立ったように感じました
トレイシーのおかげで、自分の体を受け入れられるようになった。プラスサイズの主人公が、体型を恥じずに堂々と輝く姿は、多くの人の支えになっていると思う
こんな人におすすめ
- 重いテーマも、暗くならずに楽しく観たい人
- とにかく元気が出る、多幸感のある作品を探している人
- キャッチーで強い楽曲が好きな人
- 1960年代のポップでカラフルなファッション・カルチャーが好きな人
- 前向きで、ちょっと不器用な主人公に背中を押されたい人
- 「ミュージカルを初めて観る」人の最初の一本としても
どこで観られる? 『ヘアスプレー』を映像で観る方法
『ヘアスプレー』を映像で楽しみたいとき、ひとつ知っておきたいことがあります。「ヘアスプレー」と名のつく映像は、ひとつではありません。
原作にあたる1988年の映画、2002年初演の舞台ミュージカル、2007年のリメイク映画、そして2016年にアメリカで放送された生放送版『ヘアスプレー・ライブ!』。同じ物語でも、観られる映像はそれぞれ別物です。ここでは「どれを、どこで観られるか」を整理します。以下は2026年5月時点の情報です。配信状況は変わることがあるので、最新は各サービスでご確認ください。
【日本語字幕あり】2007年の映画版 :いちばん手軽な入口
ジョン・トラボルタやザック・エフロンが出演した、もっとも有名な映像版。歌もダンスも豪華で、ミュージカルの楽しさをまるごと味わえます。「まずは一本」ならこれが入口です。もちろん日本語字幕あり。
| 視聴方法 | サービス | 特徴 |
|---|---|---|
| 見放題(定額制) | U-NEXT | 月額料金だけで追加課金なし。31日間の無料トライアルがあり、その期間中に観られます |
| レンタル(都度課金) | Amazonプライム・ビデオ | レンタル399円 or 購入1,500円 |
| レンタル(DVD宅配) | TSUTAYA DISCAS | DVDの宅配レンタル。日本語の吹替・字幕の両方に対応 |
とりあえず無料で観てみたいなら、無料トライアルがあって見放題の対象にもなっているU-NEXTがいちばん手軽です。じっくりミュージカル作品をたくさん観たい人にも向いています。
【日本語字幕あり】『ヘアスプレー・ライブ!』(2016年):舞台にいちばん近い映像
舞台版に限りなく近い空気を感じられるのは、こっちかもしれません。『ヘアスプレー・ライブ!』は、2016年にアメリカのNBCが放送した、生放送のステージ版です。
映画用に作り替えるのではなく、舞台のセットと段取りのまま、生で歌い演じたものを収録しています。エドナ役にはブロードウェイ初演と同じハーヴェイ・ファイアスタイン、モーターマウス・メイベル役にジェニファー・ハドソン、さらにアリアナ・グランデ(!)も出演する豪華なキャスト。「映画版は観たけれど、舞台に近いものも観てみたい」という人にぴったりです。
Prime VideoとApple TVでは日本語字幕付きで配信。英語が得意でなくても安心して観られます。
| 視聴方法 | サービス | 特徴 |
|---|---|---|
| レンタル・購入(都度課金) | Amazonプライム・ビデオ | レンタル440円 or 購入1,600円 |
| レンタル・購入(都度課金) | Apple TV | レンタル440円 or 購入1,600円 |
| DVD(購入) | Amazon.co.jp ほか | 輸入盤のDVDが購入できます。再生環境(リージョン)にご注意を |
舞台版の公式映像は?
ブロードウェイや東宝の舞台『ヘアスプレー』を、上演そのまま収録した公式映像は、今のところ広くは流通していません。これは『ヘアスプレー』に限らず、多くの海外ミュージカルに共通する事情です。現状、舞台の熱量にいちばん近いかたちで自宅で観られるのは、上で紹介した『ヘアスプレー・ライブ!』かなと思います。
舞台の『ヘアスプレー』日本版は、2022年に東宝が上演しました(トレイシー役は渡辺直美、エドナ役は山口祐一郎)。もし再演があれば、生の舞台であの多幸感を浴びられるチャンス。公演情報はこまめにチェックしておきたいところです。
↓日本版の映像はこちら。円盤化も待望されていますが、今のところはまだ…
→ 海外ミュージカルの視聴方法ガイド|配信・字幕・DVDを一気にチェック
まとめ|まだ観たことがないなら、ぜひ一度
『ヘアスプレー』は、「社会派ミュージカル」としても、「最高に楽しいエンタメ」としても観られる作品です。そして、そのどちらも本物。観終わる頃には、「なんだか世界を変えられる気がする」という、根拠はないけれど確かな元気をもらえます。落ち込んだ日にも、誰かに元気を分けたい日にも効く一本。まだ観たことがないなら、ぜひ一度、あの幸福感の洪水に飲み込まれてみてください。

